2025年春に公開されたポン・ジュノ監督作の『ミッキー17』を観てきました。
この記事ではあらすじや、簡単な感想に加えて、ネタバレ込みの考察も紹介します。
これから観に行く方も、すでに観た方も楽しめる内容になっています!
作品情報
タイトル:ミッキー17
公開年:2025年
上映時間:分
監督:ポン・ジュノ
主演:ロバート・パティンソン
あらすじ:
失敗だらけの人生を送ってきた男ミッキーは、何度でも生まれ変われる“夢の仕事”で一発逆転を狙おうと、契約書をよく読まずにサインしてしまう。しかしその内容は、身勝手な権力者たちの命令に従って危険な任務を遂行し、ひたすら死んでは生き返ることを繰り返す過酷なものだった。文字通りの使い捨てワーカーとして搾取され続ける日々を送るミッキーだったが、ある日手違いによりミッキーの前に彼自身のコピーが同時に現れたことから、彼は反撃に出る。(映画.comより)
感想(ネタバレ無し)
「パラサイト半地下の家族」以来のポンジュノ作品の感想。
まず、設定から真っ先に浮かぶのが「月に囚われた男」だろう。
あちらが記憶の引継ぎのないまま複製されていくことに対し、ミッキーは記憶が継続される。
そのため死を恐れず、「まあ、死んでも次があるか」と、どこかブラックでシュールな雰囲気を作り出している。
ミッキー17全体の感想としては普通に楽しめるブラックSF作品だった。
これはB級テイストあふれる予告を見て、自分の中でハードルを上げすぎないようにしていた裏返しでもある。
「記憶の継続による死を恐れない」設定が物語中盤で活かされる。
予想通りというか、死んだと思ったミッキー17が生き延びて、その間に複製されたミッキー18と重複存在になってしまうのだ。
記憶が継続するからこそ、「自分という連続性」が保たれていたのに、これが成り立たなくなる。
それぞれが別の存在であり、今いる自分は自分だけなのだ。
この結果、死を恐れるようになるという哲学的展開が面白い。
また、ミッキーが何度生まれ変わろうと無償の愛を与えるナーシャに感動を覚える。
作中のあるシーンでは聖母のように描かれているように感じた。
他に印象的なのは悪役である司令官夫婦だろう。
非常に露悪的な描かれ方をしていて、一切話の通じない、誰が見ても腹が立つようなキャラとして作られている。
この辺りはなんだかNetflixのDon’t Look Upを思い出したりもした。
また、物語で重要な存在であるクリーパーというキャラクターはナウシカのオウムを思い出させる。
中盤、フックに子供が吊るされ、仲間が怒り狂うシーンなどまさにだ。
クライマックスに向けても予想通りの展開だが、飽きさせず最後まで楽しませてくれた。
感想・考察(ネタバレ有り)
全体的に設定の甘さ・粗さが少々目立つように思った。
ティモやカイといったキャラクターの役割や教団、重複存在についての過去などはもっと活かせそうだ。
いくつか気になった点。
なぜ最初ミッキー17を殺そうとしていた18が、最後自ら犠牲となることを選んだのか。
また、作中何度も出てくる「教団」の存在も謎だ。
「教団」と言いかけて「会社」と言い直すシーンが何度も象徴的に出てくるが、何か描かれなかった設定があったように感じる。
最後にボスが18に対して語り掛ける「お前も私と同じだ」というニュアンスの言葉。
完全に僕の妄想だが、ボスも複製なのではないか? 複製≒永遠の命をあの強欲な夫婦が使わないだろうか?
教団の掲げる自然分娩至上主義も複製であることのコンプレックスではないか?
そう思うと最後に主人公が見る、ボスが複製される悪夢もつながりが生まれる気がする。
ディレクターズカット版などに期待したい。